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鍋島焼・松ヶ谷手
![]() No1. 藍鍋島牡丹文大鉢 江戸後期 30万円 |
![]() No2. 藍鍋島竹文皿 江戸後期 18万円 |
![]() No3. 藍鍋島栗文皿 幕末 15万円 |
| 鍋島焼とは肥前国佐賀藩鍋島家の庇護の下に松浦郡・大川内山の鍋島藩窯で焼成された 精巧で格調高い特別の磁器です。 日本では唯一の官窯的性格を持ち合わせた世界に誇れる最高傑作品で その技術練度は柿右衛門様式を遥かに凌ぎ、極めて高い評価を得ています。 最上質のものは康煕・雍正時代の官窯に比肩しうると云っても過言ではありません。 主に将軍家や諸大名への献上贈答品に充てられ、自藩御用品としても使用されました。 将軍を頂点とした幕藩体制における公儀権力への忠誠服従の表徴、 更に諸大名との交誼和親の証として主に藩外へと散布されました。 伊万里焼のように販売を目的としたものではなく、 江戸時代を通して採算外視で焼成している為、一般には全く市販されなかったとされます。 藩窯の基本姿勢であった茶陶路線は執らず、皿を中心とした実用器に焦点を当てました。 鍋島藩窯には肥前諸窯から最高の技術をもつ職人が集められました。 陶工は31人、生産数は年間5031個と幕末の記録にあります。 他窯場と離れた幽境で厳格な組織の下に藩窯の作風確立を図ったものと推測されています。 尚、出入り口には関所を設けて関係者以外の通行を禁止しました。 このような厳重な警戒態勢を極めていたのは藩窯秘技の漏洩を防ぐ為です。 有田町の中心から直線にして北に約5`の鍋島藩窯跡へ行くには遠回で迂回せねばならず、 その行程となると8`は充分にあり、鍋島藩窯を隔離する上で適当な距離でした。 生産は中国官窯に倣った各部門専門による分業体制で自己の最善が尽くされました。 盛期は優れた技術に裏付けされた完成度の高いもので最高峰の技術が駆使されています。 染付や青磁等がありますが、最も主たるものが世に云われる色鍋島です。 色鍋島は染付で輪郭線を描いて赤、緑、黄の基本色で輪郭内に上絵付けをします。 この技法は明時代・成花の豆彩(闘彩)の系統を継いでおり、洗練された技術を示しています。 労力を惜しまず精巧に描かれ、御用窯だからこそ実現する事ができました。 文様の特徴は中国・朝鮮の図案影響を脱して和様の情趣を反映しているところにあります。 自然界の植物文が中心に見られ、独自の風格をもつ洗練されたデザインです。 又、山水や能衣装、桃山・江戸時代の絵手本からも画題を採り入れています。 代表的な器形は轆轤成形による木盃形という高い高台に特色をもつ皿です。 高台の外面周囲には多くの作品に櫛文と呼ばれる特殊な模様が染付で描かれています。 櫛高台とも呼ばれ、当時は基本的に鍋島藩窯だけに許され他窯では厳重に禁じられました。 盛期は櫛高台が精緻に整っていますが、時代が下がると共に乱れ始めます。 製品には極めて細心の注意を払い、検査役員の数回に及ぶ厳重な検査が行われます。 選考された合格品だけが藩に納められ、欠点をもつ不合格品は残らず破砕されました。 明治時代に入り、1871(明治4)年の廃藩置県によって鍋島藩窯は廃止されました。 |