伊万里焼の買取 古美術天平堂

伊万里焼

初期伊万里古九谷様式柿右衛門様式古伊万里後期・幕末

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欧州を魅了した日本を代表する高級磁器 「伊万里焼」

文禄・慶長の役で召致されてきた渡来陶工によって創始された肥前磁器は、
17世紀に中国・景徳鎮磁器の影響を色濃く受け、
その姿勢の中から中国古陶磁にはない和様化した中国様式を創成しました。
伊万里焼の創業期は江戸(徳川)幕府の始まりと殆ど同時期です。
幕政が強力な当初は力強い雄渾な作品が多数造られていますが、
元禄年間(1688〜1704)を頂点として作調は低下していきます。
その栄枯盛衰はまさに幕府と平行していました。
伊万里焼とは江戸時代に有田皿山で焼成された磁器が、
伊万里港を通じて海路国内各地に積み出しされた事からの呼称です。
陶器商人の本拠地であった伊万里がいつの間にか「肥前有田焼」の正式名称に代わって、
「伊万里焼」と称されるようになりました。
江戸初期から現在に至るまで佐賀県有田町を中心に展開された磁器業は、
日本陶芸史上において極めて大きな存在です。

「有田泉山」と「泉山陶石」

「有田泉山」と「泉山陶石」

有田泉山とは佐賀県西松浦郡有田町泉山に所在する陶石場です。
江戸初期から磁器原料である陶石採掘が行われ、
有田は磁器生産地として発達しました。
1807(文化4)年の『金ヶ江文書』には李参平が泉山石場を発見した事が記されています。
江戸時代に陶石採掘場は「土場」と呼ばれ、
陶石搬出を監視する為に土場番所が設置されて出入り監視が行われました。
江戸時代を通して泉山は有田磁器の生産を支えました。

 古伊万里の贋作にご注意ください 

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