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| No5.古九谷様式吸坂手色絵金銀彩楼閣山水文皿 | ||
| 時代 | 江戸前期 | |
| 状態 ・ 詳細 | 完品 | |
| 寸法 | 口径 | 14.3×14.3cm |
| 高さ | 1.9cm | |
| 底径 | 8.1×8.1cm | |
| 商品番号 | ( 8290 ) | |
| 価格 | 25万円 | |
| (降り物) | なし | (焼き上がり) | 大変良いです |
| (釉切れ・釉剥げ) | なし | (釉薬・顔料の発色) | 大変良いです |
| (使用擦れ) | なし | (器形の歪み) | なし |
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ご覧になりたい角度や箇所、ご質問等がございましたら お気軽にお申し付け下さいませ TEL・FAX (093)551-5330 福岡県北九州市小倉北区魚町3-4-20 天平堂今林古美術店 |
| 鉄釉は釉中に含まれる鉄分の含有量によって発色が変化します。 それによって呼称も柿釉、飴釉、銹釉、鉄釉、黒釉等と区分されます。 鉄分を含んだ柔らかい釉調の一連作品は嘗て石川県加賀市大聖寺の吸坂地区で 焼成されたとの説が唱えられ、その地名から吸坂という呼称が名付けられました。 しかし、有田古窯跡の山小屋・百間・長吉谷・下白川窯等で吸坂手とされる類品の陶片が 確認された事によって誤認である事が立証されました。 現在、吸坂手は有田産という事が確定されていますが、吸坂という呼称は残っています。 金銀彩作品の焼成は現在のところ明暦年間(1655〜57)に始まったと推測されており、 欧州にも輸出されていた事がV.O.Cによる輸出関係記録や伝世している金銀彩作品からも 確認されています。銀彩は1670年代頃になると使用する例が減少していきます。 一つの要因に銀は時間が経つに連れ、酸化して黒ずんでしまう為とも考えられています。 一方、金彩は元禄年間(1688〜1703)から盛んになり、 色絵の主流ともいえる金襴手に多用されています。 |