| No5.鈍壽 | ||
| 状態 ・ 詳細 | 角部に傷みや直しがございます | |
| 寸法 | 径 | 15×9.3cm |
| 高さ | 2.5cm | |
| 備考 | 田能村竹田 旧蔵品 | |
| 商品番号 | ( 8145 ) | |
| 価格 | 20万円 | |
| 硯蓋に「辛卯」の干支が表記されており、1831(天保2)年にこの蓋を制作した事が窺えます。 仕覆は竹田の落款で構成された図柄となっております。 |
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| 田能村竹田(1777〜1835)は豊後国(現:大分県)直入郡竹田村の岡藩医・田能村碩庵の 次男で幼名を磯吉、名を孝憲、字を君彜、通称を玄乗・行蔵、号を竹田・花竹幽窓主人・ 秋心・九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・随縁居士・紅荳詞人・補拙廬・雪月書堂・田舎児・ 藍水狂客・九峯無戒衲子・三我主人・西野小隠・秋声館主人といいます。 11歳で藩校・由学館へ入学して学問を専攻し、詩画に対する才能を認められました。 兄が病死した事で医業に携わりますが、その後に医を廃して由学館で教育に当たりました。 唐橋君山や伊藤鏡河に師事し、藩命により『豊後国志』の編纂に当たります。 その関係で江戸に滞在し、画を谷文晁に師事する等、広く交流の糸口を持ちました。 1805(文化2)年、眼病治療を兼ねて京坂に遊び、文人仲間に恵まれて深い感化を受けました。 藩政改革の建白書が数度に亘って退けられたのを機に1813(文化10)年に辞職しました。 その後は村瀬栲亭、木村巽斎、紀梅亭、浦上玉堂、岡田米山人、上田秋成、頼山陽、 青木木米等の著名な文人墨客と広く交流し、詩画に専念しました。 南画では淵野真斎や渡辺蓬島に師事し、中国画法を翻案した独自の様式と境地を確立して、 豊後南画隆盛の嚆矢となりました。 田能村直入、高橋草坪、帆足杏雨等の俊才を育成し、日本南画界の最高峰を極めています。 煎茶道への寄与が大きく、煎茶隆盛の立役者としてその名声を保っています。 |