ホーム > 中国古美術 > 中国古代 > 中国古代 No2.
| No2.漢緑釉博山炉 | ||
| 時代 | 後漢時代 1〜2世紀 |
|
| 状態 ・ 詳細 | 完品 | |
| 寸法 | 胴径 | 20cm |
| 口径 | 8.5×8.4cm | |
| 高さ | 20.5cm | |
| 底径 | 12×12cm | |
| 商品番号 | ( 3221 ) | |
| 価格 | 25万円 | |
| (降り物) | なし | (焼き上がり) | 大変良いです |
| (土味) | 大変良いです | (器形の歪み) | なし |
| 博山炉とは神仙の棲むと伝えられる博山をなぞった香炉を指します。 高杯状で山岳(博山)を模った蓋が付き、軸部の下に海を表す承盤があります。 |
|
ご覧になりたい角度や箇所、ご質問等がございましたら お気軽にお申し付け下さいませ TEL・FAX (093)551-5330 福岡県北九州市小倉北区魚町3-4-20 天平堂今林古美術店 |
| 中国・漢時代の焼物としてよく知られているのは灰陶や低火度鉛釉陶の緑釉です。 色目の煌びやかな低火度釉陶はオリエントで早くから栄えていました。 中国でその釉法が広く用いられるようになるのは漢時代に入ってからです。 この褐釉や緑釉を施した陶器は通常の容器とは異なり、 死者への祈りと懐かしみを込めて墳墓に副葬する為に造られた明器として知られており、 青銅器に代わって重宝されました。 緑釉陶器の隆盛は後漢時代の1〜2世紀頃で河南・陝西省を中心に流行しました。 中核を成す工房は長安と洛陽の二都を中心に配置されていましたが、 これは明器を所望する貴族階級の人々が都近郊に集中していた為と考えられています。 従って、出土例がこの地域に集まってくるのは必然的です。 出土した資料から窺える事は褐釉が前漢の中期、緑釉が前漢の後期頃から登場する事です。 生産量としては後発の緑釉が圧倒的に多く、褐釉は緑釉全盛の陰に没していったようです。 土は鉄分を多く含んだ細密なもので彩陶や灰陶とほぼ同質です。 特殊な器形を除いて成形はほぼ轆轤で成されます。 貴重な銅器や漆器に代用される副葬品として造られた為に殆どがその器形を写しています。 釉薬の主体は珪石等のガラス質でこれに酸化銅の呈色剤を加えると緑色、 酸化鉄の呈色剤を加えると褐色が得られます。 これだけではまだ釉薬にはならず、 胎土に釉薬を熔着させる媒熔剤としての鉛を加えて初めて完成に至ります。 鉛を含んでいる為、緑釉の表面には銀虹色の膜を生じたものも多く見られます。 これは長年の土中間で鉛が析出して徐々に変化する現象で風化した釉面が薄膜状に剥離し、 外光を干渉して雲母のような虹彩色を発します。褐釉では殆ど見る事ができません。 神秘的な美しさを添加し、銀化やラスターと呼ばれて喜ばれています。 釉薬は厚くたっぷりと掛けられていますが、壷瓶類の内側にまでは掛けられていません。 内側に釉薬が掛かっていないと水分が滲み出てしまう欠点となりますが、 実用品ではない明器故に外側の目に付く部分だけに掛かっていれば問題ありませんでした。 焼成方法には壷の口と口とを合わせて焼いた対口焼が知られています。 このような焼成方法を執っている為、壷の口辺は釉薬が剥離しているものも多く、 上に重ねて焼いた壷は釉薬が裾から口の方向へ流れ、口辺にも釉溜りが突起しています。 |